It's my melodyいつか君の夢 かなえるために 今日を生きているよ 忘れないで
すべてのこと 今 思いのままに そして きっと明日のために

| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE | OTHERS |
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | - | posted by スポンサードリンク
ついに・・・・ 04:16
 昨日、僕に写真の楽しさを教えてくれた愛用のデジタルカメラがついに壊れてしまいました。本当によく頑張ってくれました。感謝、感謝です。使えなくなっても愛着は消えないでしょう。ずっと大切に保管しておくつもりです。けれど今後も撮影は続けてゆきます。次は一眼デジカメ。購入する機種は決めているのでさっそくネットで注文することにします。今日はカメラが写っている写真を最後に。



| column | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
タイムトラベル 21:35
 あの時に戻ってやり直したい。そんなことを誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。そんな願いを叶えてくれる“タイムマシン”という機械が実在したら良いのになと少年の日の僕は考えたことがありました。SF小説やSF映画など空想の世界の中ではよく出てくるこの“タイムマシン”。どうやらまだ実用化という話は聞きません。しかし科学的な研究が止まってしまっているのかというとそうではないらしく、現在、アメリカのコネチカット州立大学では高出力レーザーを使い、擬似的なブラックホールを部分的に形成させ、素粒子をタイムスリップさせるという実験が続けられているそうです。

 理論的に光速を超えると時間を遡ることが可能になると云われています。しかし光速に限りなく近づいてゆくと質量も急激に増大してしまう為、不可能ではないかという説もあるのですが、その実験においては質量を持たない素粒子に情報を乗せて過去へと送るという方法によってこの問題を解決しようとしているのだそうです。もしこの実験が成功すれば、過去を変えることが可能となり、それ以降の未来が変わってゆくのかもしれません。

 仮にこの実験が成功した場合、大きな問題となると考えられているのは、彼の有名な“親殺しのパラドックス”です。子供を持つ親を子供が生まれる前に遡って死なせてしまった場合、生まれていた子供はどうなってしまうのかという話です。生まれたという事実を生まれなかったことに書き換えてしまうことによって起こる矛盾。それが“タイムパラドックス”と呼ばれる現象です。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「ターミネター」にも出てきますね。これについては過去に干渉してしまった時点より“源流”たる“時間の流れ”から“支流”が生まれ、そこから“源流”と平行してふたつの世界が存在するようになるという“パラレルワールド”という考え方もあります。つまり過去を書き換えられてしまった世界と元々の書き換えられていない世界とがそれぞれが別の時空に存在するようになるということ。しかしこれとて理論上の可能性の話であって、証明されているわけではないので実際にどうなってしまうのかは誰にも分からないことです。

 もしかすると人は“タイムマシン”など使わずに戻りたい時にはいつでも“タイムトラベル”をしているのではないかと時々僕は考えたりします。もし“タイムトラベル”が出来たとしても過去へと戻った時に未来に経験していた記憶を持っていなかったらどうなるでしょう。多分、以前と同じ判断を下し、再び同じ行動を繰り返してしまうのではないでしょうか。であれば、過去も、そこから派生する未来にも変化は起きることはないはずです。ならば“タイムパラドックス”が起きるという心配もないのではと僕は考えるのです。



 あの場面に戻ってやり直したいと思うことはありませんか、と以前、僕はそんな質問を幾度か受けたことがあります。確かにあの時ああしなければどうなっていただろうと考えてみることは今でもありますし、まだ若かりし頃には過去を変えてしまいたいと真剣に悩んだこともありました。しかし今の僕にはそんな発想は生まれません。少なくとも時間を遡ってまでやり直したいと願うことはひとつもありません(あの素敵な彼女との、あの夜の出来事でさえもね)。何故なら如何に情けない過去であったとしてもそれがその時の僕にとっての精一杯だったと思うからです。またそれが結果的に明らかな失敗だったとしてもそうなってみたからこそ失敗だったと判ったことなのだと思うのです。それもかけがえのない“成果”と云えないでしょうか。

 昔をふり返ること自体、僕はとても大切なことだと考えています。それは“自分探しのタイムトラベル”。しかしその“旅”に必要なのは“タイムマシン”などではありません。それは人生をより良いものにしたいと願う“情熱の翼”。それさえあれば人は、今この瞬間、この場所から自分の“未来”を、そして地球の“未来”をも充分に変えてゆけると僕は感じるのです。
| column | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
一期一会 20:14
 この世界の喜びはやはり「人との出会い」。頑張っている人の姿を見る度、僕は勇気付けられるのです。例えこの生涯でもう二度と会えないとしても、人の思いというものは僕の心の中でずっと生きてゆく。そうしたひとつひとつの嬉しい出来事が僕の人生を変え、僕の魂を幸せへと導く希望の光になってゆく。今日の出会いも明日の光へと繋げてゆきたいな。



 『赤いランプの下からお出し致します』。はーい、いつも美味しいコーヒーをありがとう♪当たり前の事かもしれないけれど、ふとそんな風に伝えたくなるよ。
| column | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
チャット大会 23:14
 先週の土曜の夜、チャット大会に参加しました。チャットなんてとても久しぶりのことだったのですが、そこでは僕の音楽活動を応援して下さっている方々と話すことが出来て嬉しいひと時でした。北海道の人はもう十年以上も前から、そして長崎の人は僕の最近の作品を聴いて気に入ってくれたのだとのこと。そういった声を届けてもらえることが僕にとっては作品作りの大きな励みとなり、また活動の支えになっているんだなと、数日経った今、とても強く感じています。これから先も温かな言葉を時々誰かからもらいながら、僕もまた誰かを元気にしてあげられるような作品を作ってゆく・・・・・それはなんて幸せな人生なのだろうと、僕は一日中考えていました。人生の長い旅路の上においては、人との関係が基で苦しんでしまうことも確かに多いのだけれど、こんなやわらかな素敵な思いにもさせてもらえるのだから、人との絆はこれからも大切にしてゆきたいです。皆さん、ありがとう。また近いうちに話そうね。


| column | comments(2) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
ハケンの品格 22:24
 品格があったかどうかは分かりませんが、通算四年に亘ってお世話になった会社にこの三月で別れを告げてまいりました。派遣での仕事と音楽の二足の草鞋は大変な部分もありましたが、学ぶことも多く、確実に今の僕の音楽へと繋がっているわけです。“三月は別れの季節”と言う方が多いですが、別れはまた新たな出会いのプロローグでもあります。皆さんのこれからの人生の上に素敵な出会いがありますように。



 いつかの早朝に27階の休憩室からガラス越しに撮影した街。さらば西新宿。感謝。
| column | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
St. Valentine's Day 22:14
 欧米ではカップルのためだけにあるのではなく、純粋に愛を伝え合う日なのだそうです。でもね、僕に云わせれば「愛はいつでも告白するもの」なのです。愛していると感じた瞬間に伝えるのが一番ロマンティックに感じられます。元々、愛するものたちのために殉教したバレンタイン司教にちなんでいる記念日なのですから、その行いは「常に」でしょ、でしょ?










“LOVE”
| column | comments(1) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
春一番 23:58
 「雪が溶けて川になって流れてゆきます・・・・」というのはキャンディーズが歌った「春一番」という曲ですが、何とついに今年の東京は、初雪が降る前に春一番が吹いてしまいました。これも異常気象がもたす現象のひとつなんでしょう。世界はこれからどうなってゆくのかな?雪が降ってくれることで助かる人々がいたり、自然の摂理が守られたりもしていると思いますから、あまり軽はずみなことを云うつもりはないのですが、もしもこのまま降雪がないまま東京の冬が終り、それがきっかけとなって多くの人たちの心の中に温暖化に対する危機感が芽生えたり、募っていったりするのであれば、それはそれでとても意味のあることかもしれないと、僕は本気で考えてしまいます。そして本来あるべき姿・・・・冬には雪が降って・・・・というような東京に早く戻ってほしいです。そんな気持ちを込めて、今日はちょうど一年前に撮った東京の冬景色の写真を載せてみます。明日から僕は、僕に出来る「ひとしずく」を探してみようと思います。








“ueno toshogu”









“karamon”









“botanen”











“fuyubotan”
| column | comments(4) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
「KAWASHIMA YUSUKE OFFICAL SITE」 04:10
 ファンサイトだった“to you of that day”が、この度“kawashima yusuke offical site”としてリニューアル。その記念として去る1月27日の夜、恵比寿にある僕が所属する事務所「インターセプト」にてロング・インタビューを受けて参りました。

 このサイトを作り、運営をしてくれている“dai_JIRO_くん”は、実は十数年前から僕の音楽活動を応援し続けてくれている人で、その頃にも「和○新聞」的なものを発行してくれて、当時、デビューしたてだった僕はとても励まされました。彼の人柄については「とても誠実で温かい人」という印象を抱いていて、今回のインタビューも話していてとても楽しく、話もどんどん広がっていったので、時間もついつい長くなってしまったのだけれども、あの内容を文字に起こす作業はきっと相当に大変だったと思います。ご苦労様でした。


 
 こうしたサイトの存在っていうのは、実はアーティストからするととても嬉しいものであり、また心強い気分にもさせてくれるもので、何気に僕自身もちょくちょく様子を観に行ってたりします。それで以前から何かしらの協力は出来ないかなとは思っていたものの、立場上わきまえなければいけない部分もあるのでなかなか協力することも出来ずにいたのですが・・・・。しかし今回、事務所から“オフィシャルサイト”として認められたことで、これからは僕も堂々と協力出来ることとなり、ちょっとホッとしたような嬉しい気分なのです。今後、このサイトが僕の音楽を応援してくれる人たちとの良い架け橋になっていってくれることを僕は望んでいます。でもダイちゃん、無理せず気楽に楽しみながらマイペースでよろしくね♪
| column | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
苦手になった理由 23:53
 あーそれはどうしてもダメなんだよね〜、というものが誰にでも一つや二つあるとは思います。僕の場合、その筆頭に挙げたいのは“煙草”。それほどまでに嫌いになったのにはそれ相応の理由があったりするわけです。

 「Tasting time」の方でも中学の頃のバンドのことは書きましたが、最初のバンドで僕はドラムを担当してました。その夏は学校が休みの間、来る日も来る日もバンドのリーダーの自宅へ行き、一生懸命に練習を続けていました。その頃の僕が家族と共に住んでいたのは、ドラムどころか、布団でさえも強く叩き続けていたら近隣から思いきり訴えられてしまいそうな超オンボロアパートでしたからね。しかしリーダーくんの家も自由気ままに練習が出来るというような環境ではなかったです。何せ古い木造の二階建ての一戸建てでしたから。でもすぐ隣が銭湯だったというのは多少救いだったかもしれません。

 そんなわけで、真夏の冷房の利かない部屋に野郎ばかりが四人集い、空気さえも入れ替えずに朝から晩まで練習していたわけですが、僕の担当していたドラムという楽器は押さえて演奏するにしてもロックを目指す中ではやはり限界があって、致し方なくドラムセットに部厚い毛布を掛けながら汗だくになって叩き続けてました。しかしそれだけならまだ耐えられたかもしれませんが、僕はボーカルもとっていましたから、その暑さ、激しさというものは半端なものではなかったです。はっきりいって練習中に何度も気が遠くなるのが僕にとっては日常的な出来事。そんな状況下において他のメンバーは「エリック・クラプトンがこうして演奏しながら吸っていた」とか何とか云っちゃって、バカスカと煙草を吹かしまくってましたし、はっきり云って部屋の中に紫色の霞が常にかかってましたから。そしてメンバーはまたそんな状況を喜んで作ろうとする奴等でしたね。部屋の空気が“ディープパープル”状態になってくると必ずジミヘンの「パープル・ヘイズ」を演奏したがったものです。僕にとってはそんな中でのドラミングやボーカルは苦しさとの戦いという側面も強かったわけです。で。気がついたら思いきり煙草が大嫌いな身体になっておりました。

 数年前まではそれでも単時間であれば何とか我慢もできたのですけれども、近年、花粉症の症状が強く出るようになってからはもういけません。ついつい咳き込んでしまう有様です。そう云えばもうそろそろ花粉症も出てくるんでしょうね。今年はどんな春になるのやら。アレルギーはいづれにしても厄介なものですね。

  
| column | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
変態サンダル 23:48
 近頃は100円でいろんなものが買えるようになりました。僕もダイソーやキャンドゥなどへよく出掛けて行きます。そこには「へえ、こんな物まで100円で売っているんだぁ〜」と驚くような商品を見つける楽しみがあります。そうした商品と出会う度、その何倍もの値段で売っている他の店の商品との違いをいろいろと考えてします。僕にはどちらが必要なのかなとか。デザインや利便性などにおいて必要性があり、高くてもやっぱりそれが欲しい、ということであれば全く良いのですが、そうでもなければやはり僕の心はついつい安い方に向きがちです。しかし現実問題として一端デザインのことなどを持ち出してしまうならば、概ねそれなりのデザイナーを揃えているであろうブランドの方に傾くわけですけどね。

 そうしたモノたちの中で僕の購買意欲を見事なまでに掻き立てた商品がありました。それは「サンダル」。見た目は近所の靴屋の店先の500円均一ワゴンに置いてあるのと同じような感じ。ちょうどベランダ用にひとつ欲しいと思っていましたし、それを履いて出掛けるとしてもどうせ近所だけだし・・・・と僕は500円で売っているものを100円で買える錯覚に陥り、喜び勇んで庭駆け回り状態で買ってしまったわけです。それからベランダに常時置きっ放し状態のその100円サンダルは僕の期待に応え、洗濯物を干したり、取り込んだり、また植物に水を与える時など大いに活躍してくれました。しかし昔の人は上手いことを云ったものです。「安かろう悪かろう」と・・・・。

 しばらくして大雨がありました。しかし翌日は見事なまでの快晴。僕は洗い立ての洗濯物を両手で抱えながらベランダのサンダルに足を突っ込みました。するとサンダルはジュルジュルという音がたち、噴き出された水が踏み込んだ僕の足を濡らすではありませんか。前日の雨水がサンダルの中に溜まってしまったのです。それに気づいた瞬間、僕はそれが100円で売られていた理由が解ったような気がしました。そのまま放置しておいたのでは雨が降る度に不快な思いをしてしまうので、いっそのこと近所へ行く為用の、所謂“突っ掛け”にしようと思い付き、サンダルをベランダから玄関へと配置転換を行いました。

 数日を経ても尚、足を差し入れる度にサンダルからは「ジュル、ジュル」と音がしていました。しかし数週間を経過するとようやく内部の水分が無くなった様子で、もはや「ジュル、ジュル」は聞こえなくなっていました。そこで早速、僕は配置転換後の初仕事をしてもらおうと翌朝に返却期限となるDVDを返す為、真冬の午前三時、駅前にあるレンタルショップへ向かう為の突っ掛けとしてサンダルを利用したのでした。

 普段から僕は歩くのがとても早いのですが、その時はとても寒かったこともあり、通常よりもさらに三割増し、軽く息切れするほどの速さで歩いていました。僕の50mくらい前方には一人の男性が歩いていました。しばらくし、その距離が10m程になったところで前方を歩いていた男性が後方から近づく僕を振り返りました。すると早歩きをしている僕よりもさらに速い歩調で歩き始めたのです。それは明らかに、追いつかれたくない、という強い意思を感じさせる“歩調”・・・・というよりそれはもはや“競歩”と呼ぶべき状態でした。どうしたのだろう、と僕も自分の後方を振り返ってみたのですが誰もいません。

 つまり・・・・僕を感じて逃げたってこと?まぁ夜中だから誰だって気持ち良くないよね。

 DVDを返却したついでにいつものように新作を三本借り、ショップを出ました。僕の直後に続くように女性が一人出てきて、どうやらその足音からすると同じ方向へと向かって歩き始めたようでした。やはり時間が時間ですから僕としてもすぐ後ろを歩かれるのはちょっと不気味に感じるわけです。しかし数十mも行かないところまで行くと後ろの足音が止まりました。ちょっと気になって振り返ると僕を見つめている女性が立っていました。僕と目が合うなりその女性は今歩いてきたショップの方向に走り去ってゆきました。

 え〜!どうしたのよぉ?確かにサンダル履きでジャージにコートはちょっと不審かもしれないけど、そりゃ傷つくってばさ。

 まぁその場にいつまでもそのまま立っていたとしても仕方ないですし、当局に通報されて職務質問されても厄介なので、再び僕は自宅へと歩き始めたわけです。そして僕はそれまでは分からなかったあることにすぐに気付きました。僕が一歩歩く度、サンダルから「シュウ、シュウ」という音が発せられるということに。

 どうやら雨曝しになったことでサンダル下部のクッションがダメになり、重みが加わる度に渇いたその部分に入っていた空気が押し出される為、変な音がするという現象が起こっていたようです。僕の早歩きにより、その「シュウ、シュウ」音が周囲にはまるで「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」という風に聞こえていたのでありましょう。そんなところへ持ってきてその日のその出で立ちですから。もはやどう疑われても仕方ないことなのかもしれません。

 100円のサンダル、侮るべからずでございます。安いからといってモノを粗末に扱ってはなりません。しみじみ。
| column | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
<< | 2/4 | >>