It's my melodyいつか君の夢 かなえるために 今日を生きているよ 忘れないで
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「クライマーズ・ハイ」 05:39
 “御巣鷹山日航機墜落事故”のあった1985年当時はまだ携帯電話もなく、人が人へと思いを伝える為に大切なものは自らの“足”であり、“情熱”だった。現在ではテクノロジーの発達により、何時何処にいても瞬時にして多くの情報を収拾することが出来、また発信することも容易になった。そして便利なソフトを用いれば、意図も容易く“ご大層なもの”に仕上がってしまう。

 そんな時代に生きるオーディエンスに強く求められるようになったのは“張りぼて”と“本物”との違いを見抜く為の“審美眼”。そして表現する者にとっては、創り出すこと以前に、自分自身が持っている、その“審美眼”により自分を映し出し、見つめ続ける必要性を感じさせるようにもなった。つまり己の考えや表現が“張りぼて”なのではないかという恐怖と常に闘わざるを得なくなったのである。

 人は苦しさを超えるところまで到達するとそこから先は快感に変わる。走者の場合はそれを“ランナーズ・ハイ”と云い、登山者の場合には“クライマーズ・ハイ”と云うらしい。自己の極限に達した時の人間は考えることを止め、自分をただ“直に観る”という状態に成る。その時に初めて自分自身の心の形というものをはっきりと捉えることが出来、安心する。元来、人間と云うものは「良い、悪い」ではなく、ありのままの自分を知ることを強く求めているように僕には思える。それを感じながら生きる瞬間に至福を覚えるのだ。云い方を換えれば、「人は本来の自分に立ち返る為に生きている」ということか。


 人が他人の言葉や行いに振り回され、不安に陥ってしまうのは、つい自分を見失ってしまうからなのではないだろうか。始終、不安に苛まれてしまう心は自分自身を見つけられずに彷徨っているからなのではないだろうか。

この映画の主人公、悠木和雅は自分の信じたことを行い、怒りや拘りを捨てた末に自分の心が本当に求めているものを知り、歩むべき道を見つけ出してゆく。求めているものを知るための方法は、百人いれば百通りの道がある。故に人生は面白くもあり、人と触れ合うことが楽しく感じるのだろうと思う。そうしたことをこの作品は改めて感じさせ、僕を安心させてくれた。

 “表現者”としての自分がこれから何を創り出すか、またどの道を行くのかさえ皆目見当がつかないが、“人”としての自分が「どう歩いてゆきたいか」ということについては一瞬だがはっきりと見えたような気がした。 
| cinema | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
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