新国立美術館で開催されている「横山大観展」へ行ってきました。「開運!何でも鑑定団」ではたまに横山大観作ではないかという代物が出品されたりします。その度に鑑定士の方々がいろいろと解説をされていらっしゃったな〜、という位しか僕には印象もなかったのですが、つい何となく足を運んでおりました。
僕は美術品を観る時に近づいてしげしげと細かいところまで観ようとはしません。どちらかというと少し離れたところから眺める形でその芸術家が感じていたもの、見つめていたものを感じようとします。そうした鑑賞方法が僕にとってはこの上なく心地良いのです。云わば、制作時の作者と感情と同化しようとする瞬間。今まで観た絵画の中で最も同化できたような気がしたのがこの横山大観でした。
横山大観がどんな人だったのかは定かではありませんが、僕が感じたところですととても霊的な人であり、また人情の厚い人ではなかったかと思います。慈愛に満ちた眼差しで描かれた被写体は怪しく陽炎のように不確かなようであり、しかし確実にその作品の中で息衝いています。まるでオーラを描いているような作品。圧倒だったのは「生々流転」という巻物状になった作品。万物が何から生まれ、そしてまたやがてはどこへ帰ってゆくのか、大観の感じたままが書かれているように思いました。
絵画の手法についてはとんと疎いのですが、表現するということにおいては音楽にも共通するような部分が多く見つかりますし、またいつか自分の音楽でもやってみたいなという表現方法もいくつかありました。ほんの束の間でしたが、大観の作品によって僕はトリップしました。そしてあの奇妙な形状の建物の中で僕の魂は宇宙そのものを感じていました。