衝撃的なあの出来事があってから早6年。戦争にしてもテロにしてもそれらはずっと以前から世界中で起きていたことですが、日本に生きていてそれらがとても身近に起こりうることだと感じるようになったのは、やはり“9.11”からなのだと思います。きっと多くの人々がこの出来事から世界で実際に起きている悲しい出来事に対して大きな関心と共感を抱くようになったのだと思います。6年経った今、強くこの胸に感じることは、やはりあの時に感じたことを風化させてはいけないということ。
あの日、僕はちょうど引越しの真っ最中でした。ベーシストの“ともきん”こと、長谷川知輝くんと二人で荷造りをしながら、運転担当だったメグちゃんの到着を待ちながら何気なくテレビを観ていた時にいきなりあの衝撃的な映像が飛び込んできたわけです。正直、何がアメリカで起きているのか、僕にはすぐに理解することは出来ず、呆然としたまま時間が過ぎてゆきました。
何故“9.11”が起こったかということについては事件後から今日に至るまで様々な情報が入り乱れてきました。この数日においてもアメリカから首謀者と云われている人物の最近の映像がテレビで流されたりと今後についても多くの報道がなされ、人々の間でもいろんな角度から論じられてゆくことになるのでしょう。
真実が何であるとしても平和ということについて人がここから学んでゆけることはとても多いのではないでしょうか。それは国会とか、国と国の代表者たちの間ではなくて、まず僕等ひとりひとりが真剣に考えることなのだと僕は思っています。そして大切なことは家庭や職場などそれぞれが置かれている今ある環境の中で目の前の不調和とどう向き合ってゆくかということなのだと思っています。もしかしたら小さな戦争やテロに似たことが身近でも起こっているかもしれません。
僕にとってこの6年は人生を変えるような出来事がいくつも起こりました。ちょうどあの日をひとつのきっかけにするかのように・・・・。こんなことを書いているうちに今、ふと気づいたことは、“9.11”以来、一番変わったのは僕自身の感じ方や考え方だったのではないかということ。そうした経験があったからこそ「あの日の君へ」という詞も書けたのだと思います。またそこから生まれた思いはきっとこれからも僕にいろんな歌を書かせてゆくのだろうと思いますし、今、僕自身も何よりそれを強く望んでいます。それこそが僕に出来る一番の祈りだと感じているので。
最後に“9.11”でお亡くなりになられた方々のご冥福を祈って、合掌。