ベガのことを考えるといつもすぐに思い出されるのが“誤飲事件”。めぐメグの留守中、ベガの世話を任されていた僕が目をちょっと逸らした隙に病院から僕用に出されていた薬を食べてしまったという出来事でした。きっと僕が口に運んでいる様子を見ていてベガは強い興味を持ってしまったのでしょう。万が一のことも考え、ベガにはとても届かないような高いところに一応は保管しておいたつもりだったのですが・・・・。彼女の食べてみたいと思うその一念は困難な状況をも凌駕していたようで、友人と共に僕が戻った時、部屋の壁面のかなり高いところに掛けられたあったはずの薬袋はそこになく、何重にもなっていたはずの中袋も見事に破かれ床に落ちており、さらにその中にあったはずの大量の薬が部屋中に蒔き散らされていました。そして当のベガ自身はというと何度もくしゃみを繰り返しながら、興奮状態の様子でただひたすらに部屋の中を歩き回っていました。どうしたものかと様子を伺っている内に、彼女は部屋の片隅へ歩いていったかと思うとバタリと横向きに倒れ、開いたままの口から白い泡を吹き、苦しそうに目を剥いてしまいました。僕は友人に急いで車を出してもらい、すぐに彼女を車に乗せて病院へと向かいました。たまたまその日が日曜日であり、しかも夜になっていたこともあって、車窓から動物病院の看板を見つけることが出来てもよく見ると診療中でないところばかり。焦る僕の気持ちと反応を失ったベガを乗せた車がようやく診療を受けられる病院の入り口に辿り着いたのは、倒れてから一時間以上も経ってからのことでした。
診察室に運ばれた彼女はすぐに胃洗浄と注射という処置を施され、点滴をしながらの入院という格好になりました。お医者さんの話ではその晩がヤマになるとのこと。仕事が終わり、駆けつけためぐメグも完全に言葉を失くして、ただ呆然とその場に立ち尽くすばかり。結局、代表者としてめぐメグ一人だけが病院に残り、僕を含めた他の者は一端めぐメグの家へと戻ることとなりました。
皆、疲れきってはいましたがとても眠れるような気分にはなれません。「自分の不注意のせいで彼女が死んでしまうかもしれない」僕を襲った恐怖は凄まじいものでした。止め処ない涙と後悔の中で過ごす人生で一番長い夜。僕はただただ祈り続けるしかありませんでした。
やがて朝になると電話の音が鳴りました。それは病院からの安否を告げる連絡。彼女は頑張りました。何とかこの世界に留まってくれたのです。そのことを知って僕はまた涙が止まらなくなりました。ベガは小さな犬でした。でもかけがえのない家族のような大きな存在でした。この出来事があった時、僕はそれを思い知らされたのです。やはり何かが起こってから初めて気付くということは多いことなのです。しかしその時にはもう取り返しのつかない状態になっていることも人生にはあります。もし間に合ううちに気付けたのならそれはとても幸運なこと。
14歳を迎える直前に亡くなったベガと僕とは、実はもう何年も前から会えない状況になっていました。彼女が遠くに行ってしまうと知った時、既に一度、僕は惜別の思いを経験していたのです。だからこそ僕は訃報を聞かされた時にそれをすんなり受け止められたのかもしれません。人生の中で一番と言えるほどに苦しんでいた当時の僕に彼女はいろんな感情を教えてくれました。そこから少しづつ豊かさを取り戻すきっかけを僕に与えてくれました。だから別れることの悲しみよりも出逢えたことに感謝する気持ちの方が強かったのです。
「同じ場所ではないけれど同じ世界の中でずっと一緒にいるよ」。その思いを誰かが心の片隅で抱き続ける限り、彼女が孤独を感じることはないと思っています。以前の僕は、生きている間だけが一緒にいられる時間なのだと思っていました。でも今はそんな風には感じていません。同じ世界にいる彼女を感じようとする時、共に生きているという感覚を得られるのです。温もりややさしさはいつでもどこにいても感じます。そうした消えることのない安らぎやそこから生まれてくる勇気を与えてもらいながら、彼女を愛した人間はこれからも彼女と共に生きることが出来るのです。ベガが僕に与えてくれたもの、それは消えることのない希望でした。
愛という世界の中の、今までとはちょっと違うやさしさの中で、これからも自由に君らしく駆け続けて下さい。そしていつかきっとまた同じやさしさの中で一緒に暮らそうね。今まで、そしてこれからもずっと・・・・ありがとう、ベガ。