日本代表の優勝ということで幕を閉じた第一回「World baseball classic」。僕は野球のことを考えると、どうしても自分の少年時代のことを思い出してしまいます。その記憶の一部は「tasting time」の第20回「高速道路の橋」で書きましたが、今回書こうと思っているのは、自分が選手としてプレーしていた時のことではなく、あくまで野球ファンとして歩んできた中での思い出話です。
“heiwajima park”
僕の父は昔、大の巨人ファンでまだ10歳だった僕はそんな父とよくチャンネル争いをしました。特にドリフの「8時だよ!全員集合」と被った時などはそれはそれは大変な騒ぎにもなったりもしました。だからといって野球が嫌いだったかと云えばそうではなく、大河ドラマなどよりはずっと楽しいと思っていましたし、多分僕はことプロ野球については同級生などよりよっぽど詳しかったと思います。
ある日、父親に「巨人の試合の券が手に入ったから観に行こう」と誘われました。僕はまだ野球場に足を踏み入れたことがなかったから、まさに小躍りして喜んだのを覚えています。それは滅多に一緒に出掛けることがなかった父から誘われたということも大きかったのかもしれないです。
“warabi no sora”
昭和44年にパ・リーグ優勝を果たしたロッテ・オリオンズは翌年の春、メジャー・リーグのサンフランシスコ・ジャイアンツを招いて親善試合を行いました。その時、前年の日本シリーズでロッテを破り、日本一に輝いた巨人も一試合だけ戦うことになったのでした。当時、日本シリーズ5連覇中だった巨人は紛れも無く日本の最強球団であり、その試合も「ジャイアンツ対ジャイアンツの対決」などと云われ、親善試合でありながら大きな注目を集めていました。その頃の巨人は、3番にファーストの王、4番にサードの長島が全盛期。加えて野手に土井、黒江、高田、柴田、国松、森、投手陣は堀内、高橋一三、城之内、渡辺と日本を代表する選手がずらりと並んでいました。
試合は一進一退の好ゲーム。終盤、長島のホームランで追いつき延長戦に持ち込んだ巨人が、その日自身二本目となる王のホームランによって劇的なサヨナラ勝ちを収めました。その日以来、引っ込み思案な性格だった僕は野球の熱狂的なファンとなり、白球を追いかけるようになってゆくわけです。
スポーツの素晴らしさは、その分かりやすさにもあると感じます。人の一生懸命な姿は、それが何処の国の選手であれ心を惹きつけますし、ドラマティックな試合展開には皆が興奮を覚えるはずです。素晴らしい試合が続いた今回のWBCではそれを一層強く感じました。
“Giants”
僕個人の思いの中では、少年時代のヒーローであった王選手が、日本代表となった選手たちを率いる監督として世界の頂点に立ったことが何より嬉しく思いました。何故なら王選手の残した868本の現役通算最多本塁打の世界記録は、実は本場アメリカにおいてはあまり評価されていないと前に聞いていたからです。それは日本の野球のレベルそのものが疑問視されていたということが根本にあったのです。そのことを疑う人はもういなくなったことでしょう。王さんの野球人生における苦労や努力はいろんな場面で語られてきました。頑張ってきた人が認められる瞬間を見るというのはとても嬉しいものです。そんなわけで大きな勇気をもらい悦び一杯の僕でした。ありがとう、王JAPAN!