It's my melodyいつか君の夢 かなえるために 今日を生きているよ 忘れないで
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瞑想 06:16
 ― 瞑想 ― それは僕が日々の中で一番大切にしている時間。
朝起きた後、眠りに就く前、悲しいことがあった時、心がざわつく時、物事に集中出来ない時、何も目に入らない時、浮き足立つ時、味わう時、誰かと心を重ねる時・・・・。一日の中において僕は幾度「瞑想」をしているのだろう。

 「瞑想」をするようになったのはいつ頃のことだろうか。きっかけは誰かの言葉だったのか、それとも自然に覚えたことなのか、あまりに昔のことだからもう思い出せないけれども、いづれにせよ、それを始めたのはかなり昔のことだということに間違いない。

 「瞑想」を始めてからというもの、僕にはいろんなことが見えるように、また感じられるようになった。最初の頃、いきなり視野が拡がったことによって大きな混乱を招いたこともあった。しかし「ある時期」を境にして僕の中の心象風景は一変した。この世界がそれまでのそれとはまったく違って見えてきたのだ。

 その「時期」とは僕が「自負」というものを捨てた瞬間。日常生活をしている中においても、音楽を紡いでいる時にも自分の力で達成させようと考えなくなった。というより、何かを達成するということは自分の力だけで成し遂げられることでもなく、またそこでは必ずしも自分がすべてを担う必要さえもない、と感じるようになったという方が近い。そこに関わる「協力者」はある時は「誰か」である場合もある(そんなことさえも実は表面的な、目に映り易い部分での話なのだが)。しかし多くの場合は「誰か」とか「何か」を含めた、自分を守る「存在そのもの」であったりする。そうした「守護の存在」に気づく時、僕は言い知れぬ安堵の感に包まれる。こうして語ると何やら大そうなことにも聞こえるかもしれないが、そこに至る術というものは実は意外にシンプルなことだったりする。(つまり「幸福」なんてものは実はとても単純なものなのでしょう)。その鍵こそが「瞑想」という行為の中にあった。少なくとも僕の場合はそうでした。

 僕は安堵の中に身を置きながら人生を歩むべく、日に幾度となく目を閉じ、そして思いを巡らせる。「瞑想」をしている時、僕は“真に宇宙は無限なのだ”と感じられる。そしてその「果てしない命」と自分自身とは不可分な関係にあるのだと気づく。やがては“万物はすべて繋がっている”とまで感じる。そこに「自分」という「存在」はたったひとつの「世界」のほんの一部であり、「世界」そのものが自分自身でもあるということも知るようになる。またそれを感じられるからこそ「自負」の心などが何より大切なことだなどとは思わなくなるとも云えるのです。

 「自負」を捨てようと努めること、またそうしたことを考えること自体がとても苦手だと云う人もいる。そんな人には「瞑想」から始めることをお奨めしたい。「瞑想」を続ける中で与えられる平安を心身に感じ、積み重ねてゆき、自然の流れの中で少しずつ変わってゆく自分を待つのも良い方法なのだと僕は思う。また「瞑想」はただ単に身体を癒すということにおいても大いなる効果を生み出すので、いつもお疲れ気味の方にはぜひお試し頂きたい。「瞑想」と「幸福」はとても近いところでリンクしている。
| spiritual | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
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