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映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観る前に 23:58
 僕は特定の宗教は持っていません。しかしイエスが残したと言われる言葉の中には「真実」があると感じていますし、聖書は僕の愛読書のひとつにもなっています。いわばイエスは人生の師のひとり。そしてまた兄弟のいない僕にとっては親しみをもって「お兄ちゃん」という感覚も抱いていたりする存在です。

 今、世界中を論争の渦に巻き込んでいる映画に「ダ・ヴィンチ・コード」という作品があります。最近、知り合いに会う度に『この論争についてどう思う?』と尋ねられます。実はまだ僕はこの映画を観ていないのですが、映画の中で語られている噂のほとんどはもう二十年以上も前から知っていたことでした。

 この映画の原作である同名の「ダ・ヴィンチ・コード」という小説はダン・ブラウンという作家が、キリストの死後、語られ続けてきた数多くの流説をひとつの長編推理小説としてまとめあげ、2003年に出版したものです。過去に様々なイエス・キリスト像を描かれた小説や映画や絵画は数え切れない程あります。近年のもので言えば、映画「パッション」もそのひとつで、その残虐な拷問シーンやイエスの人間らしさを強調していると言われるその描き方が論争にもなりました。僕自身、この作品を三度観ましたが、その映像はかなり衝撃的であり、まるでその「現場」にいて見聞きしてきたような錯覚を抱かせる程にリアルなものでした。

 では何故、今回の「ダ・ヴィンチ・コード」に関してはこれ程までに大きな論争を巻き起こしてしまったのでしょうか?それはひとえに小説の冒頭に記述された「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述はすべて事実に基づいている」という表現の受け取り方にあるように思われます。それは多くの人々にとって、あたかも小説のストーリーそのものが事実であるかのように感じられてしまう恐れを含んでいます。

 キリスト教の大前提は「イエスは神の子である」ということを信じること。そこからすべての信仰が始まるのです。その彼が、実は結婚をしていており、子孫まで残していた・・・・。そのことをまことしやかに語られるということは、キリスト教信者にとってはキリストの神性を汚しているとも感じられることでもあるのかもしれません。

 世界にはいろんな国があり、情勢も違います。またそこに住む人の心の中にはそれぞれに違った悩みや苦しみがあります。世界中には本当に多くの人々が「キリストが神であること」を信じることで救われているのは事実なのです。別な言い方をすれば、そうした人々にとっては「キリストが人間であること」は信仰の根本をも揺るがすことになりかねないわけです。つまり人生の意味までもを大きく変わってしまうことにもなりかねない映画であると言うことも出来るわけです。ですから教会やヴァチカンが「観ないように」と言う事はよく理解できるのです。人の心は惑いやすいものなのですから・・・・。

 もしこれからこの「ダ・ヴィンチ・コード」という映画を観られる方がいらっしゃいましたら、そんなことを頭のどこかに置いて観ると作者の表現したことや世界で騒がれていることの意味がさらに感じられるようになり、一層興味深いものへとなってゆくのではないかと思います。かくいう僕も今一度、イエスの残した言葉などを読み返したりしてから、この話題の映画をじっくりと観てみたいと思っています。
| column | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
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