“アスペルガー症候群”という障害を抱えた二人の男女が社会の中で幸せを掴んでゆく物語。この作品を観た後、すぐに“アスペルガー症候群”のことについて調べてみました。“アスペルガー症候群”の定義については諸説あるそうで、現在は主に「知的障害のない、あるいはほとんどない自閉症」または「知的障害の有無を問わず、言語障害のない自閉症」のいづれかと解釈されているようです。
“自閉症”という観点で見つめてゆくとその主な特徴の中には、「対人関係の困難さ」「感覚のアンバランスさ」「環境の変化への対応の困難さ」などが含まれているということが分かりました。しかしこういったことは“健常者”と呼ばれる人々の中でも不得意だと感じている人が実は沢山いるのではないかと思います。かくゆう僕にしてもそれらすべての事柄において常に万全な用意が出来ているなどとは到底考えられません。実際、突然のアクシデントに際しては心の中でパニック状態に陥ることも多々あるわけで、ただそれを周囲に対しては上手く誤魔化し、表面化させないという術にもしかしたら少しばかり長けているだけではないのかな、と感じています。
“自閉症のこと”を調べてゆくうちに“自閉症を持つ人との接し方”の中に「その人の出来ないことや苦手なことをよく理解する」といったことや「奇異に思える言動があった場合、そうしなければならない理由があることを理解する」といった内容があることを知りました。そうしたことは何も“自閉症を持つ人に対する場合”に限ったことではなく、“すべての対人関係における基本”であると僕は考えます。人を自分の物差しで計るのではなく、その人の立場になって受け止めようとする努力をするということは本来、良い人間関係を築いてゆく上で必要な心構えではあるはずです。
この世の中に、差別のない社会を求め、“共生”を目指している人は沢山いると思うのですが、他者との関係を複雑にしている原因はまず何よりも“無知”ということなのではないかと思います。区別ではなく、差別というものが僕自身の中にもまだまだ根強くあったりするわけで、自分自身についてのことも含めて、人はもっと人を大切に出来るようになる為の様々な努力が必要だと感じます。世界中で起きていることも僕はよく知りはしないけれど、自分の大切な人の心の中で起きていることさえも実はちゃんと理解してはいないのではないかと思います。まずは相手の言葉を受け止めること、そこがすべてのスタート地点のはず。そのラインに立つことさえもままならない程に余裕がないというのは、やはりそれ以前の問題として自分自身の中での生活改善とか意識改善とかが必要なのですよね。“モーツァルトとクジラ”という作品の中の二人は、それぞれに自分自身を“普通に保つ”もままならない状況の中で、互いに精一杯思いやろう、愛し合おうと努力していました。そんな姿に心打たれる、というか、とても美しく感じました。
僕等は皆、どこかしら欠けていて一人では生きてゆけない存在。心も身体もとても脆い。だから単純にもっと庇い合って生きてゆけるようになりたいと思う今日この頃です。
で、今日の僕は何をする?