It's my melodyいつか君の夢 かなえるために 今日を生きているよ 忘れないで
すべてのこと 今 思いのままに そして きっと明日のために

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voix claire 音楽教室の皆さんへ 00:42
最初に皆さんの演奏を聴かせて頂いたのは、ちょうど二年前の「La fete 2006」。
気がつけば随分と月日が流れていました。
その間、成長したであろう皆さんとまた同じ場所で会えることを楽しみに
僕は会場へと足を運びました。

二年の間、皆さんはとてもたくさんの練習を重ねていました。
そして昨夜は精一杯の演奏をし、豊かに実った素敵な収穫物を届けてくれました。
アンサンブルでは互いの心と音を重ね合った時の美しさを
ソロではこの世界の中で活き活きと羽ばたいていることの喜びを聴かせてくれました。
そうしたことがじんわりと僕の心に伝わってきた素晴らしい演奏会でしたよ。

また今回も最後に歌って下さった「あの日の君へ」はこれまで聴いた中でも最高の出来。
よくあそこまで歌い込んで下さったと
作詞をした僕の心は、まさに“冥利に尽きる”の思いで胸が一杯になりました。

どうぞこれからも音楽を通じ人と交わり、愛し合い、人生に感動を覚えながら、
豊かな人生を送って下さい。
そしてまた素敵な演奏を響かせ続けて下さい。
僕も皆さんの情熱に負けないよう、そして誰かの心へと思いを届けられるような音楽を
紡ぎ続けてゆきたいと思います。
| friends | comments(2) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
ベガの思い出 パート2 〜 別れのこと 08:52
 ベガのことを考えるといつもすぐに思い出されるのが“誤飲事件”。めぐメグの留守中、ベガの世話を任されていた僕が目をちょっと逸らした隙に病院から僕用に出されていた薬を食べてしまったという出来事でした。きっと僕が口に運んでいる様子を見ていてベガは強い興味を持ってしまったのでしょう。万が一のことも考え、ベガにはとても届かないような高いところに一応は保管しておいたつもりだったのですが・・・・。彼女の食べてみたいと思うその一念は困難な状況をも凌駕していたようで、友人と共に僕が戻った時、部屋の壁面のかなり高いところに掛けられたあったはずの薬袋はそこになく、何重にもなっていたはずの中袋も見事に破かれ床に落ちており、さらにその中にあったはずの大量の薬が部屋中に蒔き散らされていました。そして当のベガ自身はというと何度もくしゃみを繰り返しながら、興奮状態の様子でただひたすらに部屋の中を歩き回っていました。どうしたものかと様子を伺っている内に、彼女は部屋の片隅へ歩いていったかと思うとバタリと横向きに倒れ、開いたままの口から白い泡を吹き、苦しそうに目を剥いてしまいました。僕は友人に急いで車を出してもらい、すぐに彼女を車に乗せて病院へと向かいました。たまたまその日が日曜日であり、しかも夜になっていたこともあって、車窓から動物病院の看板を見つけることが出来てもよく見ると診療中でないところばかり。焦る僕の気持ちと反応を失ったベガを乗せた車がようやく診療を受けられる病院の入り口に辿り着いたのは、倒れてから一時間以上も経ってからのことでした。

 診察室に運ばれた彼女はすぐに胃洗浄と注射という処置を施され、点滴をしながらの入院という格好になりました。お医者さんの話ではその晩がヤマになるとのこと。仕事が終わり、駆けつけためぐメグも完全に言葉を失くして、ただ呆然とその場に立ち尽くすばかり。結局、代表者としてめぐメグ一人だけが病院に残り、僕を含めた他の者は一端めぐメグの家へと戻ることとなりました。

 皆、疲れきってはいましたがとても眠れるような気分にはなれません。「自分の不注意のせいで彼女が死んでしまうかもしれない」僕を襲った恐怖は凄まじいものでした。止め処ない涙と後悔の中で過ごす人生で一番長い夜。僕はただただ祈り続けるしかありませんでした。

 やがて朝になると電話の音が鳴りました。それは病院からの安否を告げる連絡。彼女は頑張りました。何とかこの世界に留まってくれたのです。そのことを知って僕はまた涙が止まらなくなりました。ベガは小さな犬でした。でもかけがえのない家族のような大きな存在でした。この出来事があった時、僕はそれを思い知らされたのです。やはり何かが起こってから初めて気付くということは多いことなのです。しかしその時にはもう取り返しのつかない状態になっていることも人生にはあります。もし間に合ううちに気付けたのならそれはとても幸運なこと。

 14歳を迎える直前に亡くなったベガと僕とは、実はもう何年も前から会えない状況になっていました。彼女が遠くに行ってしまうと知った時、既に一度、僕は惜別の思いを経験していたのです。だからこそ僕は訃報を聞かされた時にそれをすんなり受け止められたのかもしれません。人生の中で一番と言えるほどに苦しんでいた当時の僕に彼女はいろんな感情を教えてくれました。そこから少しづつ豊かさを取り戻すきっかけを僕に与えてくれました。だから別れることの悲しみよりも出逢えたことに感謝する気持ちの方が強かったのです。

 「同じ場所ではないけれど同じ世界の中でずっと一緒にいるよ」。その思いを誰かが心の片隅で抱き続ける限り、彼女が孤独を感じることはないと思っています。以前の僕は、生きている間だけが一緒にいられる時間なのだと思っていました。でも今はそんな風には感じていません。同じ世界にいる彼女を感じようとする時、共に生きているという感覚を得られるのです。温もりややさしさはいつでもどこにいても感じます。そうした消えることのない安らぎやそこから生まれてくる勇気を与えてもらいながら、彼女を愛した人間はこれからも彼女と共に生きることが出来るのです。ベガが僕に与えてくれたもの、それは消えることのない希望でした。



 愛という世界の中の、今までとはちょっと違うやさしさの中で、これからも自由に君らしく駆け続けて下さい。そしていつかきっとまた同じやさしさの中で一緒に暮らそうね。今まで、そしてこれからもずっと・・・・ありがとう、ベガ。
| friends | comments(1) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
ベガの思い出 パート1 〜 名前のこと 05:17
 1993年の春、当時、めぐメグが住んでいた世田谷の部屋に一匹の雌のワンちゃんがやってきました。友人の家で産まれたマルチーズの赤ちゃん。写真はめぐメグの所へやってきた翌日に撮影されたもの。

 

 彼女にはしばらくの間、名前がありませんでした。どんな名前にしようかと悩んでいためぐメグから相談を受けた時、僕は何の気なしに『“ベガ”って名前はどう?』と提案しました。“ベガ”とはその年の桜花賞の最有力候補となっていた牝馬のことで、鼻筋の白い部分にあったいくつもの黒い斑点が琴座の姿を連想させたことから、その中の一等星、七夕の織姫星の意味の“ベガ”という名前が付けられていました。もちろんマルチーズの赤ちゃんの顔に斑点は無かったのですが、その産まれたての愛らしい天使のような姿が、僕は“ベガ”という馬の美しさと重なったのでつい口にしてしまったのです。その由来を僕から説明されためぐメグはいたく気に入った様子で『もし“ベガ”という馬がレースで優勝したならマルチーズの赤ちゃんの名前も“ベガ”にする!』と言い出しました。『もし他の馬が勝ったらどうするの?』と僕が尋ねるとめぐメグは『そのレースで勝った馬と同じ名前にする・・・・』と答えてましたモゴモゴ

 運命の日を迎え、僕は言い出しっぺの責任を痛感していました。何せ競馬というものは出走する馬にはすべてに優勝するチャンスがあるわけですし、競争中は何事が起こるかも分からないわけですから・・・・。そんな僕の緊張を余所に、レースでは名手武豊を背にした大本命“ベガ”が、その華麗な走りで阪神競馬場のゴール板前を他のどの馬よりも早く、そして堂々と駆け抜け、桜花賞を制してくれました。こうしてめぐメグの可愛い子犬に他の馬の名前が付けられるという事態は回避されたのですが、しかしレースでの着差は実は1メートルもありませんでした。因みに二着以下に続いた馬たちはというと“ユキノビジン”“マックスジョリー”“ヤマヒサローレル”というような名前。それってどうなのよ、って感じでしょ?もしかしたら今日のブログのタイトルも「ユキノビジンの思い出」なーんてことにもなってたかもですよたらーっ

 今日の話題はめぐメグもロゼッタストーンのエッセイ「一緒にmezzo・LOHAS」の中で書いているので読んでみてねウィンク
| friends | comments(4) | trackbacks(2) | posted by 和栗卓也
「ESSENCE」のマスター&ケサちゃんとのこと 08:18
1991年頃のことだと思いますが、当時の僕はインターセプトに所属して間もない頃で、一人暮らしをしながらメジャー・デビューに向けてのデモ制作をしていました。やはり良い音楽を作る為には安定した生活も必要であろうと考え、何か仕事をしてみようと僕は思ったわけです(って、それまでは何して生きてたんだ?という声が聞こえてきそうですが・・・・たらーっ)。
そんなところへ知り合いの紹介があり、僕は六本木のパブで働くことになりました。その店でマネージャーを務めていた人こそが「ESSENCE」のマスターでした。彼と僕とは年齢も非常に近く、以前にも何度か麻雀をして遊んでいましたから、僕にとっては気楽に仕事につくことが出来ました。職場でご一緒させて頂いた間、彼には何かと便宜を図ってもらい、助けられることが多かったです。



彼はとてもやさしい性格の持ち主でありますが、また同時に正義感が非常に強く、律儀な人でもあります。時にお店には横柄なお客様がおいでになることがあります。そんな時も彼はとても柔らかな物腰で対処します。しかし中にはどうしても聞き分けのないお客様もいらっしゃるわけで、そんな時彼は「やさしい悪魔」に変貌するのです。デビ〜ル!!てれちゃう
といってもそんな状況に遭遇したのは、数年の間にたった一度だけですが。

また彼は霊感も強いみたいで、渋谷センター街の裏手にあった系列店においては度々恐ろしいものと遭遇していたようです。まぁそのお店に関しては僕自身もいろいろと感じていましたから話を彼の話を聞いて納得してしまいましたムニョムニョ

彼とは本当によく麻雀ばかりして遊びました。朝まで仕事をした後で昼過ぎまで雀荘で麻雀をし、急いで家に帰っては1〜2時間寝て、お風呂に入るとまた慌てて出勤、というような日々を続けていました。今考えると恐ろしいことしてましたね。
家に帰る時間もない時にはご実家などにも泊めて頂いたこともあって、いろいろとお世話になった人なのでありますラッキー



僕が六本木のお店にいた時、同じフロアにあった「ジェイル・バー」というお店でお皿を回していたのが「イチロー」です・・・・じゃなくて「ケサちゃん」です。ケサちゃんとは挨拶を交わすくらいの関わりでしたが、いつも穏やかな表情で接してくれる彼のお陰で随分と癒されたものです。



そんな二人が開いた、横浜の「日本大通り」のバー「ESSENCE」にはいつも穏やかな空気が流れ、扉を開く者を温かく迎い入れてくれます。もしよろしければぜひご一緒に♪ビール
| friends | comments(1) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
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