It's my melodyいつか君の夢 かなえるために 今日を生きているよ 忘れないで
すべてのこと 今 思いのままに そして きっと明日のために

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「東遊園地」 〜 西方見聞録 vol.2 20:18

 
 阪神大震災で最も被害が大きかったと云われる三ノ宮の東遊園地。 
 


 震災の記憶を今に伝えてくれている野外彫刻“MARINA”(作/新谷紀氏)。被災以前には市民に時を知らせる役割も兼ねていた作品だったそうです。被災時に台座の部分から折れてしまい、倒れた金色の女性像が抱きかかえていた時計は地震発生時刻の“5時46分”を指したままで止まっています。今も残されている爪跡のひとつ。



 皇后陛下が被災地への思いを詠まれた歌が刻まれた碑。
    


 「笑み交はし やがて涙の わきいづる 復興なりし 街を行きつつ」 



 木内克氏作「エーゲ海に捧ぐ」。とても女性らしいしなやかさと美しさを感じさせてくれる作品。つらい思い出を癒し、明日へ生き続けてゆく勇気を与えてくれような素敵な彫刻でした。


| spiritual | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
「1.17希望の灯り」と「慰霊と復興のモニュメント」 〜 西方見聞録 vol.1 18:48
 旅の最初の訪問先として選んだのは神戸。その理由は阪神大震災という大きな災いを経験したその街の今を感じたかったから。そしてまず僕が訪れたのは“震災慰霊の場”となっている東遊園地。


 ここには「1.17希望の灯り」と「慰霊と復興のモニュメント」があります。



 止めどなく流れ落ちる水の下に存在する“瞑想空間”。そこは震災で亡くなられた方々の休まれている場所。



 階段を下た途端に伝わってきたのは広島平和祈念公園で感じたものと同じ空気。そこには4,615名の御名前が記されていました。僕は小さな祈りを捧げた後、静かにシャッターを切らせて頂きました。



 天井部には光と水が踊る姿が映し出され、生き残られた方々から亡くなられた方々への慰霊の思いというものがひしひしと伝わってくるようでした。



 スロープを上がり、外で出てみるとすぐ近くにそれはありました。「やさしさ」と「思いやり」、そして「生きている証」 として灯りを灯したいとの提案を受けて、被災10市10町と47都道府県から寄せられた種火を一つにした灯りのモニュメントです。


 
1.17 希望の灯り

1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災

震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出

・・・たった1秒先が予知出来ない人間の限界・・・

震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ



 魂が願っていること。その為に今、自分は何をすべきなのだろう。そんなことを改めて感じさせられた旅のはじまり。
| spiritual | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
my gratitude 08:47
 
 曲がりくねったこの道は
 どこまで続いているのだろう
 喜び悲しみ抱きながら
 どこまで歩いてゆくのだろう

 曲がりくねったこの道も
 素直なこころで歩くなら
 少しは素敵に見えてくる
 そっと僕に囁いた一輪の花
 
 もしもたったひとつだけ
 心にことば持てるなら
 ありがとうをくださいな
 
 もしもたったひとりだけ
 それを届けてくれるなら
 遠く見守る星よりも
 無口に咲いてるあなたのもとへ


  
| spiritual | comments(2) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
花のように 12:52
   花は優しい 
   見る人を慰めて
   何も見返りを求めない
   献身的だから
   花は美しい
 

 美輪明宏さんが先日のTV番組の中で話されていた言葉です。



 アスファルトの脇の僅かな土に咲いている花。誰が植えたのかも分からない道端の花。彼らから人はたくさんの勇気や元気をもらっています。花たちに、そして彼らを人知れず育てている誰かのやさしさにも感謝です。



 ただ愛したいから愛している。それも考え抜いて生まれてくる行いではなく、存在そのものが“愛”になる。それが究極の“美”。僕が花に憧れを抱いてしまうのはそうした思いからなのでしょうか。


| spiritual | comments(4) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
瞑想 06:16
 ― 瞑想 ― それは僕が日々の中で一番大切にしている時間。
朝起きた後、眠りに就く前、悲しいことがあった時、心がざわつく時、物事に集中出来ない時、何も目に入らない時、浮き足立つ時、味わう時、誰かと心を重ねる時・・・・。一日の中において僕は幾度「瞑想」をしているのだろう。

 「瞑想」をするようになったのはいつ頃のことだろうか。きっかけは誰かの言葉だったのか、それとも自然に覚えたことなのか、あまりに昔のことだからもう思い出せないけれども、いづれにせよ、それを始めたのはかなり昔のことだということに間違いない。

 「瞑想」を始めてからというもの、僕にはいろんなことが見えるように、また感じられるようになった。最初の頃、いきなり視野が拡がったことによって大きな混乱を招いたこともあった。しかし「ある時期」を境にして僕の中の心象風景は一変した。この世界がそれまでのそれとはまったく違って見えてきたのだ。

 その「時期」とは僕が「自負」というものを捨てた瞬間。日常生活をしている中においても、音楽を紡いでいる時にも自分の力で達成させようと考えなくなった。というより、何かを達成するということは自分の力だけで成し遂げられることでもなく、またそこでは必ずしも自分がすべてを担う必要さえもない、と感じるようになったという方が近い。そこに関わる「協力者」はある時は「誰か」である場合もある(そんなことさえも実は表面的な、目に映り易い部分での話なのだが)。しかし多くの場合は「誰か」とか「何か」を含めた、自分を守る「存在そのもの」であったりする。そうした「守護の存在」に気づく時、僕は言い知れぬ安堵の感に包まれる。こうして語ると何やら大そうなことにも聞こえるかもしれないが、そこに至る術というものは実は意外にシンプルなことだったりする。(つまり「幸福」なんてものは実はとても単純なものなのでしょう)。その鍵こそが「瞑想」という行為の中にあった。少なくとも僕の場合はそうでした。

 僕は安堵の中に身を置きながら人生を歩むべく、日に幾度となく目を閉じ、そして思いを巡らせる。「瞑想」をしている時、僕は“真に宇宙は無限なのだ”と感じられる。そしてその「果てしない命」と自分自身とは不可分な関係にあるのだと気づく。やがては“万物はすべて繋がっている”とまで感じる。そこに「自分」という「存在」はたったひとつの「世界」のほんの一部であり、「世界」そのものが自分自身でもあるということも知るようになる。またそれを感じられるからこそ「自負」の心などが何より大切なことだなどとは思わなくなるとも云えるのです。

 「自負」を捨てようと努めること、またそうしたことを考えること自体がとても苦手だと云う人もいる。そんな人には「瞑想」から始めることをお奨めしたい。「瞑想」を続ける中で与えられる平安を心身に感じ、積み重ねてゆき、自然の流れの中で少しずつ変わってゆく自分を待つのも良い方法なのだと僕は思う。また「瞑想」はただ単に身体を癒すということにおいても大いなる効果を生み出すので、いつもお疲れ気味の方にはぜひお試し頂きたい。「瞑想」と「幸福」はとても近いところでリンクしている。
| spiritual | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
五年前 01:25
 「タイム・マシン」という言葉で思い出したことがあります。それは五年前のあの「9.11」の夜のこと。その日は練馬区の平和台という所から豊島区へと引越しをする日でした。僕は昼からせっせと荷造り。午後になってYOGAファイヤーがお手伝いに来てくれました。おおよその荷物の整理がついた頃、一息入れようとテレビのスイッチを入れてみたところ、番組が臨時ニュースに切り替わり、あの惨劇が映し出されたのです。僕等は二人ともまるで心の中に凝固剤でも注入されたかのように固まってしまい、言葉を失くしていました。しっかり目で見ているつもりなのですが正直、何が起こっているのか、僕の脳の中ではちゃんと理解出来ない状況でした。実際に現実と認識出来るまでには随分と時間が必要だったのです。それはもしかすると、どこかで事実として受け入れることを拒否している部分が僕の心の中に強くあったからなのかもしれません。少し落ち着いてから感じたのは、言い知れぬ「深い虚しさ」でした。
 
 ― 文明の象徴とも云える建造物が一瞬のうちに多くの人命と共に崩れ去るのを目撃してしまう ― そんな稀有な体験をたまたま偶然に共有してしまった僕等の間には何か不思議な空気感が流れていました。はっきり言って、あの時は物質文明のはかなさが完全に心を支配していて、もう引越しの荷物のことなんて僕にはどうでも良いことのように感じられました。そんなわけで、荷物を表に運び出しながら『これいいですね』と云うYOGAの言葉に対して『気に入ったなら持って行っていいよ』と僕はあっさり答えてました。そんな会話が何度が繰り返され、ふと気がつくと僕のリヴィングにあった、ほぼ新品と云える美しい家具たちはそのほとんどがYOGA家へと嫁いでゆくという約束になっていました。

 元々が希薄ではあったのですが、年を重ねて僕の「物」への執着心はさらに薄れました。その代わりというわけではありませんが「形のないもの」や「目に見えないもの」に対する興味は増大しています。言い換えれば「人を本当に幸せな気持ちにさせてくれるものとは何か」また「不幸な気持ちにさせるものとは何か」ということをいつも考えるようになったのです。もしかしたらこの五年の間にも僕の心の中は大きく変化したのかもしません。そんな今の僕が確かだと思えることは、そうしたことを思い描いている時の心の内にこそ人は「平安」や「幸福」を感じられるのだということ。僕にとって「9.11」は「本当に失いたくないもの」を思い出す日なのです。
| spiritual | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
波動 02:15
 クラブ・チッタでのライブは出演者が多かったことから音合わせの時間から本番までの時間が物凄く長かった。お陰でその間に“クリスタル・ボウル奏者”の大内さんとアシスタントの川本さんとファミレスでいろいろとお話をすることが出来た。その時に僕が『美しい音楽が生まれるのは自分自身がピュアになっている時。自分が作るのではなく、作る道具自体になりたいという意識になった時に本当にピュアな状態になれる。そうなる為に必要なことは自分が宇宙と繋がっているという意識を持つことを大切に考えてる』と話したら、お二人曰く『宇宙と繋がっているという意識を持つことは“クリスタル・ボウル”を演奏する際の基本でもあります』と驚かれた。実は僕は今までいろんなアーティストさんたちの口からも同じような話を聞いている。だから僕は何も驚きはしなかった。むしろ「やっぱりみんな同じことを感じているんだな」と納得。少しだけ嬉しい気分になっていました。

 「すべての物は波動から生まれる。そして波動こそがすべてを変えてゆく。波動は音楽や言葉からも生まれる。そして意識からも大きな波動が生まれる。つまり何を思い浮かべるかで自分の心や身体は影響され、世界も変わってゆく」そうしたことを毎日感じ続けて生きている僕にとっては、それはもはや「重力があるから物が下に落ちる」のと同じくらい常識になってしまっている。お二人は『クリスタル・ボウルは演奏するものの内面が波動となって現れてしまい、それが強く聴く人の心と身体に影響を及ぼすので、演奏する時の体調や心の準備が大切なのです』とも話していた。そうしたことはアートに限らず、本当はあらゆることに通じていることだと僕は常々感じています。
| spiritual | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
「ずーっとずっとだいすきだよ」 00:00
 「ずーっと、だいすきだよ」男の子は毎晩、年老いた愛犬のエルフィーにそう言ってあげました。ある朝、エルフィーは死んでいました。男の子はとても悲しくなりました。でも「ずーっと、だいすきだよ」と言ってあげていたので、いくらか気持ちが楽でした。

 “大切な人に自分の気持ちを伝えていますか?ちゃんと言葉にして伝えていますか?”

 二度と帰らない“この時”。この世界で何よりも嬉しいことは“心のキャッチボール”だということをいつも忘れないでいたいです。一冊の素敵な絵本が僕にかけがえのないメッセージをまたプレゼントしてくれました。
| spiritual | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 和栗卓也
言葉 13:21
時に言葉は人を傷つける。
たったひとつの言葉が人の心に波紋を立てる。
それは長きの間に亘って、その人を苦しめることがある。
そう思う時、語ることがとてつもなく恐ろしいことのように感じてしまう。

時に言葉は人を勇気付けたりもする。
愛ある言葉によって心が救われることがある。
そのことを誰よりも知っているつもりでいるからこそ
語ることの勇気と伝える努力だけはいつまでも忘れないでいたいと思う。

その時、僕が伝えたいこととは何だろうと考える。
ひとりでは抱えきれなくなった思いをただ受け止めて欲しいということなのか。
それとも誰かと理解し合い、そして愛し合いたいということなのか。

誰かのことを思いながら語ろうとするならば、
その人に受け止めてもらえるような言葉で伝えたいと思う。
誰かの言葉を受け止めようとするならば、
言葉にはならない部分も含めて、その人の柔らかな心そのものを感じ取りたいと思う。

愛のない言葉が人に真の安らぎや幸福を与えることはないだろう。
それは言葉を受け取る相手にとっても言葉を発する自分自身にとっても同じこと。
言葉を紡ぐ時の僕の心には温かな灯が点っているだろうか。
そんなことを常に問い掛けずとも済む自分になれたらと願う。







“ikebukuro west park”
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占い (後編) 12:27
今から二年前、僕はある一人の女性と出会った。初めてお会いした時、とても知的でバイタリティがある素敵な人という印象を僕は持った。しかし一方でどこか、体調面で不安定なところを持っていそうだとも感じた。といっても僕には何かがはっきり見えるというわけではない。










“Westin tokyo”

それから数ヶ月がたった頃、僕には彼女から発せられるエネルギーが随分と弱くなっていると感じられた。以前から彼女は腎臓が弱く、あまり無理をするとぐったりするということは本人から聞き知っていたのだが、僕には腎臓以外の部分にも問題が起きているように思えてならなかった。僕のあてにならない直感によれば、それは女性特有の病気のように感じられた。最近はまったく検査を受けていないという彼女に対して、僕は病院で検査を受けるよう強く勧めた。しかし彼女は仕事が忙しいということを理由になかなか検査に行かない。そこで僕は彼女に占い師「Sさん」の話をした。彼女はとても興味を示し、ぜひ観てもらいたいと言い出した。既にその頃、実質的な活動をほとんどやめていた「Sさん」だったが、僕が電話で事情を伝えると占うことを快く請け負って下さった。そして僕の時と同じように彼女の生年月日や名前などを伝えると「Sさん」は数週間の時間が欲しいと言って電話を切った。そして一ヶ月ほども経ったある日、「Sさん」から連絡があった。電話口で彼女から告げられたことの中には様々なジャンルについてのことがあったが、そのひとつに健康のことについての話があった。『この人は元々、腎臓に問題を持っているのだけれど、今は別の部分で大きな局面を迎えていると思う。それは婦人科系のこと。一刻も早く病院で精密な検査を受けた方がいいと思うわ』。

僕はすぐに「Sさん」からのメッセージを彼女に伝えた。真剣に聞いていた彼女はついに重い腰を上げ、病院へと足を向けた。医師から告げられた診察の結果は、婦人科系の部位に悪性の腫瘍があり、早期に手術を受けることが必要だということだった。

それから一年以上の歳月が経った。その後、彼女は結婚をし、現在ではとても幸せな生活をしていると聞く。彼女がその生活を手に入れることが出来たのは、彼女自身の「生きること」に対しての彼女の「前向きな思い」だったのだと僕は思っている。検査を受けることも手術を受けることも大きな勇気が必要だったと思うし、またそこから歩き出すにはさらなる困難があったのだとも思う。彼女がよりよく生きようと努力を続けてきたからこそ「Sさん」の言葉を活かすことが出来、病気を克服して新たな生活を得ることが出来たのだと僕は信じている。








“tokyo art theater”

今では完全にその活動を停止してしまった「Sさん」が以前、僕にこんなことを話してくれた。『あまり良くない占いの結果を聞いて自暴自棄になる人がいる。また同じようなことを聞いてもそこから努力し、自分で希望の道を見つけてゆく人もいる。運命は宿命とは違い、その人の努力によっていくらでも変えることが可能なものだわ。占いを活かすも殺すもその人次第なのよ』。

占いで明らかになること、それは自分が気に掛けている事の方向性や自分の心にある不安や希望でしかないと僕は思う。どれが運命でどれが宿命なのかということは僕には分からないけれども、人生には変えられることがたくさんあるのだということを感じている。しかしそれは自分が変えたいと思う流れだけとは限らないとも思っている。もしも嬉しい未来が待っていると知らされた人が、そこからの努力を怠るように変わってしまうならば、その瞬間から「運命」と呼ばれる「命を運ぶもの」の流れもその方向を大きく変えてゆくのではないかと考えるからだ。そうしたことが僕にとってはとても自然なことに思える。占いを聞いたとしても聞かないとしても、人生において大切にしたいことというものは僕の中で常に何も変らないのだ。







“yokohama”

実は、僕には自分の目指す道の先に困難な流れを見ると悲しくなってしまうことがしばしばある。勇気を持てなくなってしまう瞬間というものがある。しかしそんな時でも希望を持ち、最善を尽くせる自分に出会いたいと願い、努力し続けようとしている。何故ならそうした自分でいる瞬間にこそ僕は生きることの喜びを実感するからだ。そんな僕は今日も占いの言葉を聞く。そしてそこに映る自分の心の有様を見つめる。
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